11. 子どもたちと

第11章 子どもや10代の若者たちとのつながりを取り戻すワーク

多くの大人たち、とくに親や教師は苦しいほどのジレンマを抱えている。いずれ子どもたちはその生存中に大破綻の苦しみを背負うことになると知りながら、どうやってそれについて彼らと話せばいいのだろうか。私たちは、厳しい現実から子どもたちを匿(かくま)いたいという思いと、この先の苦難に備えて彼らに十分な準備をさせたいという思いの板挟みになっている。

  自分の子どもたちに何て言ったらいいのでしょう? 私は彼らが安全に、幸せに生きることを願っているんです。どういうわけか、罪悪感を感じます――こんな世界を彼らに引き渡さなければならないということへの罪悪感、そして、これについては私は自分が知っている事や感じている事をごまかしているということへの罪悪感です。
  彼ら自身には手も足も出ないような物事への恐怖心をかき立てて、子ども時代を台無しにして欲しくないんです。でも、思うんです……私が守っているのは彼らなんでしょうか? それとも自分自身なのでしょうか?

私たちは何としても子どもたち(それに自分自身も)を守りたいと思うがゆえに、世界の痛みにも、痛みの原因となる生命の織り物への脅威に対しても、だんまりを決め込む。しかし、子どもたちはこのいや増す危機に全く気づいていないのだろうか?彼らは本当に何も知らないのだろうか?
キャサリン・ルードはこの板挟みの状況についてこう語っている。

  私自身は中学そして高校時代からすでに環境活動をしていましたが、今の自分は、地球温暖化、福島、絶滅、人口過剰、遺伝子組み換えといった問題から、甥や姪たちを匿(かく)まいたいと心のどこかで思っています。こんな恐ろしい物語を彼らの子ども時代に入れ込みたくないのです。こんなにめちゃくちゃな世界を彼らが引き継がなければならないのかと思うと、怒りに震えます(もちろんそこには創造的で、英雄的で、奇跡のような協働の機会が溢れるほど満ちているのだと分かってはいますが)。自分たちが生きる世界に積極的に関与することが、どれほど大切かは分かっています。それなのに私は、この小さく尊い生命たちがその心を痛めないよう、彼らを世界から遮断してしまいたいとも思っているのです。だいたい彼ら自身、自分の人生を生きるだけで精一杯なのに、どうやってこんな環境やら社会やらのクズみたいな問題に対処してゆけるというのでしょう。私は自分自身のこうした反応を観察し、そこから学ぼうとしています。それは、愛する者を守りたいがゆえに、痛みから目を逸らしてしまう人たちへの共感を教えてくれるのです。

子どもたちは何を知っていて、どう感じているのか?

子どもやカップルを対象にして「つながりをとり戻すワーク」を行っているファシリテーターたちからの報告や、近年の研究によると、子どもたちはどうやら大人が考えている以上に世界に起こっている出来事について知っているようだ。それだけではなく、子どもたちはしばしば、それらの出来事に対して強い感情を抱いてもいる。彼らは、たとえば気候変動について洗いざらい知っているわけではないが、何やら気候変動と呼ばれるものについて大人たちが心配しているということは知っている。周囲の大人たちを動揺させているものが何なのかは分からなくとも、大人たちが感じている怒り、怖れ、悲しみといった感情には気づいているのだ。……

― 第11章:p.360-362 より

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